創立50周年記念座談会

今日まで、そして明日から[前編]

東急設計コンサルタント創立50周年。
当社はこれまで何をなし、これから何をなすべきなのか、記念すべき節目において振り返る。
特に近年を代表する4つのビッグ・プロジェクト―
渋谷駅周辺再開発、二子玉川再開発、たまプラーザ駅周辺開発、
南町田グランベリーパーク開発を牽引した9名のキーパーソンに集ってもらい、
会社や業務のこと、仕事の価値観やプロジェクトのエピソードなどについて語ってもらった。 2022年11月開催

  • 伏野 隆
    顧問
    (元取締役 専務執行役員)
  • 吉田 博
    顧問(元執行役員)
  • 遠藤 郁郎
    建築設計本部
  • 髙橋 ユカリ
    建築設計本部
  • 佐藤 彰浩
    建築設計本部
  • 池上 鎌太郎
    都市・土木本部
  • 澤田 誠
    都市・土木本部
  • 柚木 裕朗
    都市・土木本部
  • 酒井 誠(司会進行)
    顧問
    (元取締役 常務執行役員)

創立50周年記念座談会

酒井

時代とともに求められる要望は変化し、それに当社は常に応えてきました。まちづくりの特色や守備範囲、ご自身が携わったプロジェクトや仕事の価値観などを教えていただけますか。

遠藤

再開発で求められるものとして、インフラを整備すること、人の流れを生み出すこと、エネルギーを連携させて環境性能を高めること、地域のコミュニティを醸成させること、防災拠点となること、などがあります。それだけでないことをプラスして街の特色を出したり、他の街にないものを作ろうという思いでプロジェクトを組み立ててきました。

池上

既存の道路を作り変える、敷地を整備する。再開発は現状の公共施設に何らかの問題があるために行うものです。だから再開発によって使いやすくなって地域に貢献する、かかわる人々や企業が共存共栄しながらハッピーになる。そのようなことを意識しています。私はよく東急さんのお手伝いをしますが、その際にリスクをしっかりと取られることによって大きな舞台を作ってらっしゃると非常に感じています。自分が想像していた以上のものができあがってくる、そこに携われることに一種の喜びがあります。

高橋

たまプラーザ駅周辺開発は東急さんが地権者様とともに協議会を発足されてから25年かけてまちづくりがなされたのですが、当時はまだ「まちづくりをしている」という民間事業者はあまりいなかったと記憶しています。今は多くの企業が掲げていますが、行政の仕事という認識がありました。しかし、東急さんは当時から「まちづくり」と言っていて非常に驚きました。我々も覚悟を持って業務に携わりました。これは、その後の南町田グランベリーパークに繋がる、やりがいのある素晴らしいプロジェクトだったと心から思っています。

酒井

設計事務所としては、まちづくりにかなり早くコミットしていきましたが、やはり当社が東急グループの一員として鉄道沿線、鉄道施設に密接に結び付いていたことも関係しているのでしょうか。

伏野

たまプラーザ駅周辺開発のように最初から大きなプロジェクトもありましたけど、東急さんは小さいところでもまちづくりを考えられていましたね。駅の前に敷地があれば何かに有効活用したいというのがまず一番。例えば祐天寺駅は駅前にある敷地を街とどう繋げていくか、どんな施設を作るかなど、いろいろな相談が出てきましたね。

酒井

いろいろな相談、課題を出されると一つのジャンルでの解決では済まないところがありますね。

柚木

私は当初鉄道設計がメインで、その関連もあって、渋谷の改良に携わらせていただきました。駅だった場所を広く建築の敷地に変えていく。いろんな手法を駆使して最終的に今の形になっている。そこに至るまで、遠藤さんをはじめ社内の建築担当、都市計画系や開発系の方々の知見を混ぜ合わせながら、どうしたら東急さんが目指している街が作れるのか、そこを追求していく作業でした。社内に各分野のエキスパートが揃う、このやりやすさは他社に比べてアドバンテージが高いと思います。

酒井

柚木さんのおっしゃる通り当社には組織的な多様性があり、それが現在の仕事の多様性や複合性に繋がっていると思います。商業と他の施設の複合ビルに関してご意見をお聞かせください。

渋谷ストリームは複合化プロジェクトの代表例。旧東急東横線のホーム・線路跡地を活用し、渋谷の新たなランドマークとして2018年に竣工した
渋谷駅南街区における渋谷川再生は新たな人の流れを創出した

渋谷のまちの記憶の継承

酒井

大きく複雑なプロジェクト、心象に残ったことやエピソードをお聞かせください。また、どんな課題がありましたか。渋谷ストリームはどうでしょうか、遠藤さん。

遠藤

現在渋谷ストリームが建っている南エリアは、1964年の東京オリンピックで作られた国道246号線と首都高速で分断されてしまい、渋谷の中でも目的のある人しか行かない場所でした。事業主からは分断解消のひとつとして東急東横線が地下に潜ることになり既存の鉄道架道橋をコンバージョンして雨に濡れずに渋谷駅にアクセスできる連絡通路にして欲しいというオーダーがありました。単に屋根を掛けて繋げればいいのですが、簡単にはいきませんでした。鉄道架道橋は1961年の基準で作られた土木構造物、2015年の建築基準ではその上に建築物の屋根を掛けることができませんでした。そこで土木チームと2年以上行政協議を重ねました。土木工作物+建築物の2段重ねの法整理をしてカマボコ屋根と目玉型の壁面パネルデザインを継承し、街の記憶を活かしたサステナブルな都市基盤としました。

酒井

渋谷川の上にも広場ができたし、地下からアーバン・コアのエスカレーターで上がってこられるようになり人の流れが多くなりました。渋谷の副都心としての優位性がさらに鮮明になっている気がします。

遠藤

流動量の調査をしました。開業前に比べ人数的には 明らかに倍以上、代官山・恵比寿方面に人の流れができていました。

酒井

渋谷区がかなり柔軟な対応をしてくださいましたね。

柚木

一般的に橋というと道路橋と呼ばれるもので、道路として必要な幅員しか河川管理者(東京都)は認めてくれないんですね。今回は渋谷区の行政財産として、イベントをやる目的の広場として訴求し、認められました。遠藤さんがお話ししたように南エリアは人が溜まれる場所がなかったんですね。そこにあるのは川という空間だけ。じゃあ、その上を有効活用してイベントを開催できる空間、人を呼べる空間を作ろうと。渋谷区にもそういった思いがあったと思います。

遠藤

実際の広場面積よりも大きく感じられていると思います。例えば手すりのデザインを建築部分と土木部分で統一したり、広場と歩道敷地の境界線を同じ仕上げとして一体に見せるなど、ボーダレスな空間を作って実際の領域以上に見える工夫をしています。

伏野

このノウハウに繋がったなと思えるのが渋谷ヒカリエですね。地下駅とヒカリエを接続して自然換気等ができるようにした。また、接続の仕方も工夫しています。当社ではないと理解できないほど、ヒカリエ・スクランブルスクエア・ストリームなど、駅への接続が何箇所にもなっているんです。

都市と自然の共栄を目指した二子玉川

酒井

二子玉川は都心の玄関であり、同時に郊外のはじまりという唯一無二のエリア。この再開発は都市機能の追求と自然環境の保守の2つの課題があり、ハードルの高い長く難しい案件だったと思います。

佐藤

そうですね、1982年の再開発を考える会の設立から2015年の竣工まで、実に33年もかかっての完成ですから。

澤田

私の携わる土木は足元の仕事ですから、いいものができても埋まってしまって皆さんにお見せできないのがとても残念です(笑)が、とにかく土木分野の人間として感慨深いプロジェクトでした。この二子玉川エリアというのは、世田谷区のコア地区なんです。人がただ集まる場所ではなく、道路をはじめ、下水やガス等の重要なインフラも毛細血管のように複雑に入り組んでいました。そこを大きく5区画にわけて道路をいくつかの付替フェーズを経て付け替え、既存のインフラ基盤機能を止めることなく新しいものに作り替えていく。建築の街区を早く構築しなければならず、それに合わせたインフラの整備に苦労しました。

酒井

目に見えない都市基盤部分が脆弱という難題があったんですね。

澤田

はい。一番難儀したのが補助金の関係やインフラ企業との工程調整もあり設計段階でかなりの骨格を決めないといけなかったことです。けれど6年間という工期の中で予定通りインフラ基盤を付け替え、道路整備を完了することができた。大きな事故やインフラ切断を起こすことなく無事に終わらせることができ「やりきった」と心から嬉しく思いました。それからもう一点、インフラ関連の企業さんと本当にいいお付き合いができたことです。惜しげもなく専門の技術や知識、経験を活かし課題解決に尽くしていただいたことは非常に貴重な経験でした。大規模再開発のツボを抑えることができ、我々の今後に大きなメリットになりました。このプロジェクトは行政と当社を含めた関連企業の一丸となって実現した、後世に誇れる素晴らしいものだと思っています。

佐藤

「これはすごいぞ!」というのが、このプロジェクトをはじめて見た率直な感想です。私が本件に携わったのは後半の第2期、建築物の工事も佳境に差し掛かってきた時期でした。その時は正直な話、「二子玉川でこのボリュームのオフィスがどのように埋まるのだろう」と思ったのですが、東急さんは最後のギリギリまでがんばられて、企業一社を丸ごとビルに入れてしまうという大技をやられました。

酒井

二子玉川は、いま当社がやっている郊外型まちづくりの端緒を開くものでしたね。郊外にも働く場所が必要だというクライアントの勇気が感じられるお話です。

佐藤

2015年の完成後、二子玉川がどう変わったかというと昼間の就労人口です。二子玉川に欠けていた最後のピースが完全にはまり、駅と公園を繋ぐ素晴らしいまちが完成したと思いました。

酒井

クライアントの勇気に一生懸命に応えていく、その象徴的なプロジェクトの一つだったと思います。

33年におよぶ開発計画が実を結んだ二子玉川ライズ
マンション、オフィス、商業施設が一体化した二子玉川ライズは、郊外型まちづくりの先進的なモデルとなった