コンセプトは「道」を通す
竣工直前での計画変更・一部施設解体
- Prologue
- 2023年8月24日、大型複合施設「道玄坂通 dogenzaka-dori」が開業した。若者が行き交う渋谷の中心地、渋谷109の裏手にある文化村通りと道玄坂小路に面して位置している。渋谷の谷筋、南北の高低差12メートル、周囲には細かい道と雑居ビルが混在し、不利な接道条件というこの土地に、いかにして約4万平方メートルの大型商業施設が出来上がっていったのか。各担当者からの話を交えながら、このプロジェクトの背景を伺った。
コロナ禍の到来により
繰り返される計画変更
まちづくりは何十年後の未来を想像して開発が進められ、一つ一つ丁寧に慎重に話を進めていくものであったが、コロナ禍の最中で開発された道玄坂通はそうはいかなかった。区画整理事業が終盤を迎え、着工を予定していたのは2020年2月。商業、オフィス、ホテルそれぞれの用途のバランスをどう構成するのか、事業側でも検討が続けられていた。
何度も協議を重ねた上で、工事着手時は1〜3階は主に商業、4階〜10階がオフィス、11階〜28階はビジネスホテルを想定した完成図を描いて着工。2013年の企画から7年が過ぎていた。しかし、そうしてやっと施工が開始されたとき、今度は新型コロナウィルスが世界中で猛威を奮い出した。渋谷からも人の気配が消えると、「やはりこれから商業施設を作っても、人が集まらないのでは」というムードが優勢になってきた。設計担当の上治は当時の様子を次のように振り返る。
「当時の社会状況や、事業関係者との意見交換の間で、設計側は色々なパターンを検討していました。企画当初は商業とホテルがメインの計画でしたが、Eコマースの普及拡大により、一般的な店舗よりもオフィスの方が事業的に優勢になってきた印象でした。社会状況、経済状況の変化が激しい時期で、何が最適なのか色々な観点での検討が必要でした」(上治)
商業、オフィス、ホテルそれぞれの規模や配置が定まらない中で、もう一つ決まっていないことがあった。11階〜28階のホテルの運営企業だ。着工時はビジネスホテルを想定していたが、コロナ禍に突入してから選定交渉が始まったこともあり、二の足を踏む企業ばかりだった。当時海外からの観光客の受け入れはストップされ、いつインバウンドが回復するのか未知数だったからだ。決めたくても決められない、そんなもどかしい状況が続いていた。
そんな中、興味を示したのが、インターコンチネンタルホテルなどを手掛ける外資系のIHGホテルズ&リゾーツだ。コロナ禍明けのインバウンドを見込んで積極的に展開を図っていた。「まさか、こんな大きなハイグレードホテルが誘致できるなんて」と社内からも喜びと驚きの声が上がったのも束の間、ビジネスホテルからハイブランドホテルへの変更により、設計の再検討が迫られた。より専門性を持ったホテル設計チームが加わることになり、チームはより大所帯に拡大。当時ホテルの主担当を務めた赤坂、全体設計チームとして配置や動線の調整を担当した菱田は次のように振り返る。
「ビジネスホテル仕様で作られていたものを、ハイグレードな仕様へ変更が求められました。内装はもちろん、ホテルの顔として外観も見直しが必要でした。また道玄坂通の道を通して回遊性を持たせるコンセプトと、ホテル側の求めるデザインが融合するように、全体設計チームと連携しながら、デザイナーに承認を求めなければならなかったです」(赤坂)
「ハイグレードホテルとなって、バックヤードでの従業員とお客様の空間を分けるような動線を再検討することになりました。複合用途はオフィスとホテルで共有になるスペースもあるので、運営の協力も得て許容してもらいながら、最適な動線を設計していきましたね。搬出入の通用口は最後の最後でなんとか間に合わせるなど、最後まで気が抜けない工程が続いていました」(菱田)
ホテルとオフィスの境界線や動線を、すでに着工している中で決めていく作業の難しさは語りきれない。決められたスケジュールの中で各担当者と密に連携をとりながら、施工者側にも一つ一つの工程を理解してもらい、計画との整合性をとっていった。そして、2022年にようやく商業スペースが1〜2階、3〜10階がオフィスと用途構成が確定した。竣工まであと1年だった。
コンセプトと収益性の狭間で
最適解を模索した竣工直後の解体作業
2022年11月、竣工まであと半年にもなると少しずつ安堵の雰囲気が漂い始めていた。あとは決められた工程を一歩一歩着実に完了させ、2023年3月には完成させて検査に入るというスケジュールだった。
完成目前のそのとき、PPIHの安田創業会長が言った。
「C棟はない方がいいね」
文化村通りと道玄坂を結ぶこの道玄坂小路はメインの通りになるから、その入り口にあったテナントのC棟を解体し通りを広げようというのだ。
竣工まで半年を切り、安堵の気持ちが芽生え始めていた東急設計にとって、まさに青天の霹靂だった。当時の想いを小村は次のように語る。
「その言葉を聞いた瞬間は正直、設計も施工も複雑な想いでした。やはり民間事業ですし、事業化する上では、収益性は一番だと思っています。ですが、確かにC棟がない方が広くなって歩きやすいですし、よりコンセプトが際立つので、C棟があるよりもない方が良かったと言える場所にしようと、再検討に入りました」(小村)
解体工事は検査を経た竣工後を予定して、デザイン設計を進めることとなった。思い返せばこれまでも、安田会長は、設計としては問題がない論点も、その建物を行き来する最終的なユーザーの目線で鋭い意見を投げかけてきた。その度に細かな修正と反映が繰り返されて進んでいくプロジェクトだった。竣工直前であってもその姿勢は変わらなかったのだ。
人が通り、すれ違い、待ち合わせの場となるような、渋谷の新しい「道」を通す。その事業者の想いは設計者のみならず、ホテル、施工者、行政も共通しており、竣工後は速やかに協力的に、解体作業が進められた。結果、道が拓け、道を通れば街が広がっていくような、道玄坂通のコンセプトを象徴している景色が出来上がった。
新しい道を切り拓き、文化を紡ぐ拠点へ
新しい道を切り拓き、
文化を紡ぐ拠点へ
門出を迎えた道玄坂通の「開通式」
2023年8月24日道玄坂通dogenzaka-doriは無事グランドオープンを迎えた。開業式ならぬ「開通式」が行われ、PPIHの安田創業会長と長谷部渋谷区長を中心として事業関係者により、テープカットが行われた。長年の関係者の想いが実り、道が拓かれ、またここから新たな文化がスタートする瞬間だった。
コンセプトとなった「道」のメインの入り口は文化村通りに2箇所、道玄坂小路に1箇所。道路の舗装をそのまま敷地内に再現し、この敷地内に道が延長されているようなデザインとなっている。
入口には「24時間ご自由にお通りください」の文字が描かれ、事業者の気持ちが表れたウェルカムな雰囲気が漂っている。
高低差がわかる擁壁は、通常店舗を設置するなどして隠したいところだが、回遊性を持たせるために、あえてその高低差に階段を設置して“擁壁階段”とした。高いところと低いところをつなぐ提案は構想段階からあったもので、施主からも渋谷区からも評判が良かったポイントだ。
3階にあるホテルの為のエントランス部分の外観は、当初はタイル張りのシンプルなデザインだったものから大幅に変更が加えられたが、コンセプトにうまくマッチしている。パネル一枚一枚の色が微妙に異なり、夕暮れになるとインディゴブルーに反射してとてもラグジュアリーな雰囲気になる。このデザインに関して、海外にいるホテル運営側担当者と打合せはコロナ禍ということもあり、大半がオンラインで行われた。お互いに苦労もあったが、思い入れのあるエントランスとなった。
10年という月日の末、完成した道玄坂通。元々の地形・接道条件の悪さに加え、経済情勢、世界中の人々のライフスタイルの変化など、予期せぬ事態も相まって東急設計としても思い入れの強いプロジェクトの一つとなった。道を動かしてでも、渋谷の回遊性をこの建物と敷地によって生み出し、新しい文化と歴史を紡ぐ場所にする。このコンセプトはこのプロジェクトに携わるもの誰しもが貫き通した信念であり、区画整理と設計が一体となったことで貢献できたのは東急設計としての誇りともいえる。
商業、オフィス、ホテル、この複合用途を、ワンストップで携われたことはアサインされたメンバー一人一人にとって価値ある経験として次のプロジェクトに引き継がれていくことだろう。
道玄坂通 物件概要
- 事業主
- 株式会社パン・パシフィック・インターナショナルホールディングス他
- 事業手法
- 敷地整序型土地区画整理事業、共同ビル事業
- 建物用途
- 物販、飲食、事務所、ホテル、駐車場 等
- 敷地面積
- 5,896.36 ㎡
- 延床面積
- 41,766.92 ㎡
- 工事期間
- 2020年2月15日(着工)、2023年3月31日(竣工)
- 構造・規模
- 鉄骨造 ⼀部 鉄筋コンクリート造、鉄骨鉄筋コンクリート造
地上27階/地下2階、高さ114.838m - 設計会社
- 株式会社東急設計コンサルタント
- 施工会社
- 株式会社熊谷組 首都圏支店
- 協働設計
- HIRSH BEDNER ASSOCIATES Tokyo office(ホテルインテリア)
株式会社cmyk(商環境)