volume03
プロジェクトストーリー
道玄坂通プロジェクトDogenzaka-Dori Project
Project Story
Tokyu Architects & Engineers Recruit Site

当時のことを振り返る
職種別インタビュー

各部門のプロジェクトメンバーが、当時の秘話や想いなどを語ります。ぜひ本編を読んでからご覧ください。
上治 吾郎 UEJI Goro
第3設計統括室 プロジェクトマネージャー(設計監理)
小村 秀数 OMURA Hidekazu
第2設計統括室 建築担当
工藤 俊輔 KUDO Shunsuke
第2設計統括室 建築担当
福島 遙平 FUKUSHIMA Yohei
まちづくり室 土地区画整理事業関連業務担当
赤坂 繁和 AKASAKA Shigekazu
第1設計統括室 建築担当(ホテル用途)
川村 督 KAWAMURA Susumu
環境設備設計室 電気設備担当
本多 勉 HONDA Tsutomu
開発基盤設計室 土木開発設計担当
Project Member
プロジェクトメンバー
建築設計本部
  • 吉田 博
  • 遠藤 郁郎
  • 石井 陽
  • 楠本 俊英
  • 中 遼太郎
  • 樽井 茂人
  • 小川 舞
  • 伊藤 幸史
  • 齊藤 量平
  • 泉 智佳子
都市土木本部
  • 諸岡 勇一郎
  • 黒澤 一裕
  • 原田 勲
取材協力
  • 大場 雅仁

道玄坂通 物件概要

事業主
株式会社パン・パシフィック・インターナショナルホールディングス他
事業手法
敷地整序型土地区画整理事業、共同ビル事業
建物用途
物販、飲食、事務所、ホテル、駐車場 等
敷地面積
5,896.36 ㎡
延床面積
41,766.92 ㎡
工事期間
2020年2月15日(着工)、2023年3月31日(竣工)
構造・規模
鉄骨造 ⼀部 鉄筋コンクリート造、鉄骨鉄筋コンクリート造
地上27階/地下2階、高さ114.838m
設計会社
株式会社東急設計コンサルタント
施工会社
株式会社熊谷組 首都圏支店
協働設計
HIRSH BEDNER ASSOCIATES Tokyo office(ホテルインテリア)
株式会社cmyk(商環境)

事業に関わったすべての方の最大限の努力の結果
渋谷に道を拓くことができた

上治 吾郎 UEJI Goro
第3設計統括室
担当職務:プロジェクトマネージャー(設計監理)

01道玄坂通プロジェクトに関わった経緯・役割について

事業化に向けた建築計画が本格化した2015年に参画をしてから、2023年に施設完成・開業まで、全体設計における設計監理プロジェクトマネージャー(設計責任者)として業務に関わりました。建築主代表のパン・パシフィック・インターナショナルホールディングス様や工事施工を担当された熊谷組様を始めとした社外事業関係者様との協議や、基本構想段階・基本設計・実施設計・工事監理、ほか付随する各種業務や変更対応等、事業フェーズに応じた契約は20件近くに及びます。社内連携としては、事業初期段階から参画した都市計画チーム、事業本格化後の施設全体建築設計チーム、更には土木設計やホテル設計チームも加わりました。建築設計チームには、意匠設計、構造設計、設備設計、積算、品質管理など様々な分野の担当者が関わっています。

02度重なる計画変更に伴う、対応の難しさ・大変だった点

日本有数の繁華街である渋谷における施設計画は、事業者による事業推進の判断に応じた迅速な施設計画の対応が求められました。本施設に導入された、商業施設、オフィス、ホテルという複合用途の組み合わせは、事業企画段階から竣工まで約10年という年月の中で、最適な構成、面積バランス、そしてトレンドは変化し続けていたと考えます。企画当初は商業用途が優勢であったり、その後、オフィス需要の高まりやインバウンドによる宿泊施設も活況を呈していました。一方で2019年にはコロナ禍による観光や経済活動の停滞、そして開業を迎えた2023年には円安もあり再びインバウンドが絶好調。この時代の変化の中で、事業の最適解を目指した設計条件変更への対応は、当社のみならず、事業関係者、工事施工者それぞれの立場で最大限の努力が求められ続けていました。この開業ギリギリまで続いた絶え間ない努力の結果、大変さと同時に達成感を得ることができました。

03道玄坂通プロジェクトにおけるやりがいは?

当社が有する都市計画・建築設計・土木設計というそれぞれのスキルを最大限に掛け合わることができたプロジェクトでした。『敷地をつくる』ということから始まり、それに伴う『公共基盤(道路、インフラ、擁壁)』を整え、用途が複合した『建物をつくる』ということを一貫した社内協業で実現できたことは当社ならではの強みであると実感しています。また設計者としては、ひとつの建物で、商業・オフィス・ホテルの設計を同時に経験でき、実績として誇れる充実感もありました。それにより、事業者が目指した『道玄坂に道(みち)を拓く。』という目標達成に貢献できたと思います。開業式ならぬ、『開通式』という名で、企画から建物完成まで、並走させて頂いた事業関係者様、そして難易度の高い工事を遂行した施工関係者様には感謝を申し上げたいと思います。

類い稀な難易度の物件
だからこそ得られた、設計の知識とノウハウ

小村 秀数 OMURA Hidekazu
第2設計統括室
担当職務:建築

01道玄坂通プロジェクトに関わった経緯・役割について

2013年頃から参加し、当時は区画整理のチームの中で設計業務を行っていました。満足できる建築物を建てるためにはどのような敷地がベストなのか、区画整理チームと一体になってすり合わせし、行政との協議を進めていました。その後事業化が決定してからは、建築設計チームに移動して完成まで携わりました。

02度重なる計画変更に伴う、対応の難しさ・大変だった点

エレベーターやエスカレーターをはじめとしたコアの位置変更など、着工後も設計計画の方針に大きな変更が加えられた点です。例えば躯体を打ち終わった後にホテルのオペレーターが決まり、動線整理の話が出てきて、躯体を外してエレベーターを追加するのはかなり苦労しました。そんな中でも最後間に合わせることができたのは、スケジュール管理に尽きると実感しています。優先順位を確認しながら、それを関係各所と調整して整合性をとることで難しい局面を乗り越えることができたと考えています。

03道玄坂通プロジェクトを通して得られたこと

学びだらけのプロジェクトでした。複合用途ですし、この敷地形状と高低差はどこを探してもないくらいの難しい条件が揃っていたからです。設計としても提案の幅を広げられたプロジェクトだったと思います。今後より多くの事業主様の要望に応えられるノウハウが蓄積できました。

組織設計だからこそ
コンセプトにこだわり続けて 完遂することができた

菱田 真仁 HISHIDA Masahito
第3設計統括室
担当職務:建築

01道玄坂通プロジェクトに関わった経緯・役割について

基本設計、実施設計、工事監理ともに竣工まで建物全体に関わり、特に電気・構造・設備との調整をメインに行っていました。監理以降は、消防との協議も対応し、確認申請に必要な図面の取りまとめも担当しました。

02度重なる計画変更に伴う、対応の難しさ・大変だった点

変更がある度に電気、構造、設備とも調整をするという繰り返しで、竣工までその状態が続いていたことには骨が折れました。例えば、用途構成や計画に合わせてエレベーターの位置の変更も何度かありましたし、用途に合わせてエレベーター停止階も調整しました。ホテルオペレーターが決まったときには、スタッフの動線、搬出動線、お客様の動線、それをいかに折り合いつけるのか、いくつもプランを考えて各所と調整を行っていました。

03道玄坂通プロジェクトが、当社だからこそできたと思うこと

設計、工事監理いずれの段階でも進めていく中で課題が出てきますが、TAEが組織設計だからこそ、タイムリーに各部門と相談し、方針を決めることができたのだと思います。ギリギリまで課題は尽きないプロジェクトでしたが、実際に出来上がった建物の中を多くの人が出入りしたり、2階のベンチで人がくつろいでいたり、こちらの想定通りに使ってくださっているのを見ると、コンセプトにこだわり続けて良かったと実感が湧きました。

換地の手法を利用して
地権者の想いを新しいカタチにして残す

工藤 俊輔 KUDO Shunsuke
第2設計統括室
担当職務:建築

01道玄坂通プロジェクトに関わった経緯・役割について

計画当初は主に行政協議を担当し、事業化決定後は全体意匠担当チームの遊軍的に携わっていました。区画整理で換地した地権者ビルの設計監理、共同ビルにおいてはオフィスデザイン、C棟の設計、運営管理者とセキュリティ計画の調整などを担当しました。特に地権者ビルの設計なかなかない経験だったと思います。

02プロジェクトの中で、心がけていたこと

換地では、地権者様に精神的にも金銭的にも負担を強いる場面があるので、不安を抱かれないように真摯に対応するよう心がけていました。渋谷という立地で商業施設に囲まれて暮らす不安、渋谷から別の土地に移って事業を続けられることへの不安など、地権者様の不安は様々です。自分の立場で解決ができる範疇を超えているかもしれませんが、もしかしたら建築で解決ができるかもしれない、そう思って耳を傾け建築に反映させていました。

03道玄坂通プロジェクトを通して得られたこと

渋谷を地元とする地権者の案件から、共同ビルの計画、設計、監理まで携われたことは、設計者として貴重な経験だったと思います。特に地権者様のライフスタイルや趣向を汲み取りながら、家具の寸法や段数など細部に渡って、デザインを落とし込んでいく工程は他のプロジェクトでは味わえないことでした。

道路、土地という
“ピース”の配置を変えて、新たな価値を創造できた

福島 遙平 FUKUSHIMA Yohei
まちづくり室
担当職務:土地区画整理事業関連業務

01道玄坂通プロジェクトに関わった経緯・役割について

今回のプロジェクトでは、設計チームが上の建物を作る、私の所属するまちづくり室は敷地を作るという役割を担いました。高度利用できる敷地を創出するため、土地区画整理の手法を活用して、道路の位置や幅員を変え、地権者様の土地の位置を入れ換える法手続きや行政協議を担当していました。

02土地区画整理事業の対応の難しさ・大変だった点

地権者様の合意形成です。今回の区画整理事業では、法手続きの一つ一つに地権者様全員の合意を頂く必要があり、合意が得られなければ事業が中断するリスクがありました。最後まで事業を完了できた背景には、大切な土地資産が良くなる姿を想像していただけたこと、そして、関係者の尽力によりそれが実際に具現化できたことが大きかったと思います。

03道玄坂通プロジェクトにおけるやりがいは?

元々あった狭くて長い道路の一部を廃止して拡幅したり、各地権者様の土地を少しずつ動かして、このプロジェクトの敷地が出来上がっています。道路と土地というピースは変わりませんが、そのピースを動かすことで、このような建物が建てられるようになり、土地の価値を上げることができ、まちの姿も大きく変えることができたことに、この仕事の面白さとやりがいを感じました。

外資系ホテル×複合施設
挑戦を乗り越えて、誇らしい前例を残せた

赤坂 繁和 AKASAKA Shigekazu
第1設計統括室
担当職務:建築(ホテル用途)

01道玄坂通プロジェクトに関わった経緯・役割について

ホテルのオペレーターがハイブランドの外資系に決定してから、第一設計統括室がプロジェクトに加わり、私はTAEのホテル担当としてホテル設計のデザイナーとのデザイン調整を担当していました。守るべき法律や、施工の技術的観点から、どうしたらそのデザインが実現できるのかを、施工者、デザイナーと一緒に三者で協議をしながら現場作業を進めていきました。

02度重なる計画変更に伴う、対応の難しさ・大変だった点

外資系のホテルを担当したのが初めてだったので、言葉の壁は苦労しました。ホテルの設計基準となるブランドスタンダードを読み込むのも和訳はあるものの、本来の意図を理解するため、チームのメンバーと協力しました。ブランドスタンダードは日本の建築基準法以上に厳しく設計されており、ホテル運営の担当者と何度もやり取りをしてクリアしていきました。
また、施工期限が迫った部分のデザインについては、施工者とデザイナー事務所に何度も足を運び打合せを行いました。意匠と並行して設備との折り合いがつくか、デザインの実現に向け、それぞれの足並みを揃えられるよう自分のできる最大限の努力を尽くしていました。

03道玄坂通プロジェクトを通して得られたこと

渋谷を象徴するスクランブル交差点の景色の中に「HOTEL INDIGO」のロゴを見ると、何度見ても誇らしい気持ちになります。複合用途に外資系ホテルの組み合わせという案件は、個人としても会社としても新しい挑戦であり、良い前例を残せたと実感しています。

大臣認定を4回取得
それでも施工を止めず、事業主の要望に向き合い続けた

村井 英一 MURAI Eiichi
構造設計室
担当職務:構造設計

01道玄坂通プロジェクトに関わった経緯・役割について

構造の設計及び監理に関わりました。構造設計では、意匠・電気・設備の部署と、監理段階ではそれに加え施工者である熊谷組様と関わりながら調整をしていました。次々と変更が加えられていく状況が続いていたので、施工を止めないよう確認事項や質疑があればスピーディーに対応するよう心がけていました。

02度重なる計画変更に伴う、対応の難しさ・大変だった点

今回のプロジェクトは審査が一番厳しい国土交通省の大臣認定を受けないといけない建物ですが、その認定を4回取得しています。耐震壁の開口を大きくしたり、スラブコンクリートを打ち終わった後に孔をあけてエレベーターを新設したりと、大臣認定取得規模建築物での変更内容の度合いの大きさ(構造に及ぼす影響)が、他にない経験でした。ですが、これだけ大きな変更が多かったにも関わらず、施工ミスがなく完成できたのは、熊谷組様の協力あってこそだと思います。

03当社だからこそできたポイントについて

事業主様のオーダーを真摯に受け止め、やり遂げたことが大きなポイントであると思います。これだけ変更があればスケジュールを後ろ倒しにすることを誰しも考えたと思いますが、TAE側も施工者側も誰も口にしませんでした。“やらされている”という雰囲気を感じたことはなく、困難な場面でもお互いに励まし合って楽しんで取り組んでいた印象です。そういう意味でも、TAEらしい仕事ができたのかなという気がしています。

完成後の維持管理を踏まえた上で、理想を形にできたプロジェクトでした

川村 督 KAWAMURA Susumu
環境設備設計室
担当職務:電気設備

01道玄坂通プロジェクトに関わった経緯・役割について

実施設計段階から引き継ぎとなりました。技術部門の中で、機械(空調・衛生)設備は建築プランや外皮性能の影響も受けるので、さまざまな情報を加味して進めていく必要がありました。電気設計は譲れない一線を設けながら、要望に応えるための余裕も持たせておくことを大事にしていました。

02度重なる計画変更に伴う、対応の難しさ・大変だった点

建物が非常に複雑な形で、複合用途ということもあり、常に難易度の高い計画が求められたプロジェクトでした。複数の用途が混在するエリアについては、インフラ設備をどのように計画するかが課題でした。事業主様にも理解を得ながら、商業・オフィス・ホテルそれぞれの用途に設備を分類させることで、用途ごとでの変更が全体に影響されないように計画できたことは、今後良い評価を得られるのではないかと思っています。

03当社だからこそできたポイントについて

組織設計事務所の利点は、建築プランの当初から技術部門が計画に参画できる点にあると思います。長く安心して使っていただけるように、出来上がった後の維持管理を踏まえた上での理想型を、建築担当者と協議をして進めることができました。設備更新に不具合が出ないようプランをカバーしてもらったり、様々な運営のシミュレーションをして計画に組み込んだり、事業者も施工者も一緒に検討を重ねて完成したプロジェクトだったと感じています。

課題を補完しあえる
組織力をもって
求められる基盤をつくる

本多 勉 HONDA Tsutomu
開発基盤設計室
担当職務:土木開発設計

01道玄坂通プロジェクトに関わった経緯・役割について

道路設計、下水道設計、造成設計、擁壁設計を担当しました。道玄坂通という建築物が立つことを前提として、いかに地盤を成立させることができるのか、という課題に取り組んでいました。高低差が大きい中で、建物の形に合わせた地盤を作ることはできたのは、意匠、建築構造、土木開発が同じ会社の中にあるからこそ調整ができたのだと思います。

02度重なる計画変更に伴う、対応の難しさ・大変だった点

高低差など地形的な制約により、予定建築物の躯体で地盤を支える必要があったことから、建築工事、造成工事、区画整理事業を同時に進める必要がありました。そのためには、そのスキームを行政に承諾してもらわないといけません。意匠、建築構造、土木開発などそれぞれの部署の知識をもって計画を揉んだことで、無事に承認を得て、今に至ることができました。

03当社だからこそできたポイントについて

私たちの任務はどのプロジェクトでも同じです。事業主様が望む建築物に必要な地盤を作るために、あらゆる部署と、あらゆる手段を使って、一緒に課題を解決していく。TAEは各部門間でできる隙間を、お互いに補完しあえる組織力があり、今回のプロジェクトではその力が大いに発揮できたと考えています。